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危険性と規制と対策と(1) [夜話]

ちょっと、ひねくれたお話。

何らかの物質もしくは物理現象に危険性があるかどうかということ、それに対する規制がどのように設定されているかということ、そして、それに関する対策を現実にどうするかということは、必ずしも一連のつながりがあるとは限らないと考えた方が良い・・・と、私は思っています。

たとえば、危険性があるかどうかと言うのは科学が担当すべき領域でしょうが、規制は最終的には政治が決める領域であって、科学的知見によってのみ定められるわけではありません。もちろん、科学的知見も参考にして決めるわけですから、そこそこの関連性はありますが、それだけが決めてではないのが政治の世界です。

ときに、悲しいことに政界の方々に科学的知見が正しく理解されないということもあります。逆に科学的な知見が確定していない領域では、必然的に政治的判断が支配的になるのは当然でしょう。

そういうわけで、科学的観点から見たときに危険なラインよりも、十分すぎるほどの余裕を持って規制を設定したり、逆に"高度な政治的判断"により逆に危険側に食い込んでしまうようなこともあります。「よく分からないけど、とりあえず、こんなものかな?」というようなものもあります。

結果としては、規制値を超えたから、直ちに危険というわけではないという話もあれば、規制を守っていたからと言って安全とは限らないという話もある・・・ということになります。

幸か不幸か、科学的合意と政治的合意は、しばしば大いに異なります。それをもって、科学者と政治家が対立したり、ときに互いに「あいつらは何もわかっとらん・・・」と完全にすれ違いを起こすこともあります。私は、そんなこと言わないで時間をかけて話し合えば、いずれお互いにずれる理由を理解し合えると信じていますが、ただ、普段考えていることが全く違うので、容易なことでないのも事実です。


また、さらに進めて、具体的な対策の実行は、最終的には行政であれ民間であれ、実践の領域であって、そこでは周辺事情も考慮しつつ、現実に即した対応が求められます。要するに、有限の人手・資金・方法論のなかで、競合する他の問題とも折り合いを付けながら、実行しなくてはいけません。その結果としては、理念や規制と一時的にコンフリクトすることもあり得るでしょう。これもまた、できれば無いに越したことはないですが、現実を直視するならば、やむを得ないことでしょう。


しかるに、医科学的観点からの危険性と法制度の議論をごちゃまぜにしたり、それを超えて一足飛びに対策の話を結びつけて議論しようとするのは、少々短絡的で、それを元にして実際に物事が動き始めてしまうと、後々、不要な軋轢を生む可能性がある(もしくは、現に生みつつある)と思われます。

逆に、これらの論点を、ある程度分けた上で議論できるならば、筋金入りの活動家でもない限りは、かなりの範囲で相互理解と歩み寄りを図ることも可能ではないかと考えています。


・・・今回は、少し抽象的になってしまいましたね。次回、より具体的なイメージを書きたいと思います。


タグ:思想 科学 政治
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水琴と原子力 [夜話]

今朝の読売新聞に、「放射線教育 空白の30年」という記事が載っていて、中学・高校の指導要領で、いかに薄っぺらく扱われていたか、もしくは全く扱われなくなっていたかということが指摘されていました。

ところで、空白の30年ということは、当然、私は空白になってから生まれたわけです。

では、どこで放射線やら何やらの知識を身につけたかというと、そのきっかけは地元にあります。

もちろん私の地元に原発があるわけではないですが、核融合や放射性廃棄物処分に関連するような施設が来るということで、反対とか賛成とか、いろいろと騒がしかったことがありました。

結論としては、地元は受け入れることを決めたわけですが、そういうときに賛成派・反対派の間でどういう"バトル"が行われるのかというのを見てきました。

また、一体本当のところは、どうなんだろうということで、自分で調べたりして独学で勉強しました。そのころ、勉強した本は、「放射線は非常に怖い」、「国策恐るべし」というような本が多かったと思います。

当時の私は、しかし、そのうち、賛成派も反対派もどちらも何だか疑わしいと思い始め、最終的には、そもそもお互い全然かみ合ってない不毛さに、内心は呆れ、冷めてきたところもありました。

その後、何かもっとまともな議論はないのかと思った私は、大学に入った後、自分の専攻する分野以外に、時間を見つけて原子力工学に関する講義や実験を受講したりしました。そこでも直接的な答えを得ることはできませんでしたが、しかし、考えるために必要な材料を集めることはできたと思います。

そうやって学んだり考えたりしてきたことを、まさか実際に役に立てなければならない日が来るとまでは思っていなかったのですが・・・。

私の希望としては、かつての「原子力推進派」vs「原子力反対派」のような形で、「楽観派」vs「悲観派」みたいになってしまうのではなく、地に足の着いた建設的な議論を経て、この状況を改善すべく適切な対応がとれるように早くなってほしいと願っています。

これからは、数字だけの話ではなく、少し、そういうことを意識した内容の話も書いていこうかなと思います。


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何とか [夜話]

先日の停電で吹っ飛んだ分を何とか取り返した。

二日ほど睡眠を削るハメになったけど、何とか、ぎりぎり間に合わせました。ご心配をおかけしましたm(_ _)m

学生だった頃を思い出す。特に二十代前半は体力にものを言わせて、ひたすら突っ走ってた。寝食を忘れて研究するのが当たり前だと思ってた。

でも、最近は、紅の豚ではないけど、徹夜は良い仕事の敵だと思うようになってきた。

まあ、一時期に比べると体力が低下し、寝ないと集中力が切れやすくなってきたというのもある・・・。あと、博士課程の最後のほうは体調を崩しかけたので、これはやばいと思ったのが一番のきっかけ。

寝ないで研究してる→興奮状態が続いて不眠になってくる→寝なくて良いなんてこれは便利な体質になった!と錯覚してやり続ける(笑)→ある日突然起き上がれなくなる

・・・というアホなことをやらかしたので、懲りた。同業者に、こっそり聞くと、みなさん意外と一度は似たようなことやってるらしいけどね。どうも歯止めが利かない種族のようです。

もちろん、よい子はまねをしてはいけません。危険です。

というわけで、特に、仕事として研究するようになってからは、極力徹夜とかしないようにしてきた。

研究者は、時間のフレキシビィリティが高く、就職一年目からでも、いきなり裁量労働制なわけで、コントロールしようと思えば、いかようにもできるはずだから。残業代もないし・・・

・・・まあ、今回は天災だから仕方ないんだけどね。

そんなこんなで、明日からは平常に戻れる予定。


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豪雨 [夜話]

今日の午後の雷雨は、すごかった。

積乱雲からの強い下降気流と猛烈な雨で、滝のよう。

雷のせいで、瞬発停電もあった。おかげで、パソコンが、ち~ん・・・(T_T)

バックグラウンドで計算中の数値シミュレーションと作業中のエクセルのデータが、お亡くなりに。

・・・凹[あせあせ(飛び散る汗)]

う~ん。近々、国際会議で発表しないとなんですけどね・・・。

週末消滅決定。

やってくれるな・・・。ゲリラ豪雨。


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0.39μSv/h→移住権利区? [夜話]

コメント欄にも寄せていただきましたが、「空間線量率が0.39μSv/h以上の地域は、チェルノブイリ事故の場合に照らすと、移住権利区に相当する」・・・というまことしやかな風説があるようです。

ですが、これは、おそらくいくつかの初歩的な勘違いから生まれたものと思われます。

International Advisory Committeeが、1991年の国際会議でまとめた報告書"The International Chernobyl Project -Assessment of Radiological Consequences and Evaluation of Protective Measures-"に、ソビエトが採った放射線防護策に関して、詳しく述べられています。

英語で読めますので、リンクを貼っておきます。概要版詳細版←超長編・・・

このなかで、ソビエトが1990年に導入した移住プログラムについても述べられています。
(1)137Csによる地表汚染が、37~555kBq/m2の地域では、補償として15ルーブル/月。ただし、移住はサポートしない。
(2)137Csによる地表汚染が、555~1480kBq/m2の地域では、補償として30ルーブル/月。また、妊婦と子供は移住させる。その他の人々は、移住を望めばサポートする。
(3)137Csによる地表汚染が、1480Bq/m2~の地域では、全住民を移住させる。
ということです。

上記からすれば「移住権利区」というのは、(2)のグループのことだと考えるのが自然だと思います。ちなみに、柏は、40~50kBq/m2程度ですから、上記では、(1)に相当します。・・・ということは、これに照らせば移住はできませんが、補償は要求できそうですね。ソビエト崩壊直前の15ルーブルの価値がよく分かりませんが(笑)

福島県内でも555kBq/m2を超えるところは、きわめて限られているようです。報道などで見る限り、たとえば浪江町で430kBq/m2くらいのようです。

一方で、185~555kBq/m2は、"periodic control zone"、555~1480kBq/m2は"permanent control zone"、1480Bq/m2~は"closed zone"という別の区分もあります。このグループ分けですと、フクシマ北西方向の高線量地域は"periodic control zone"、柏は対象外です。

一部で誤解が見られるようですが、"periodic control zone"→「移住権利区」という区分けではありません。大体、意味が違いますしね。

さて、上記のように、もともとソビエトのプログラムはセシウム137による地表面の汚染度で、グループ分けされていました。空間線量率ではありません。

では、0.39μSv/hは、どのようにして出てきた数字なのでしょうか?これも、初歩的なミスが疑われます。

セシウム137の空間線量率への寄与率は、2.1×10-3[(μSv/h)/(kBq/m2)]と見積もられています(あくまで理論値で、実際にはバラツキがある)。仮に、185kBq/m2(periodic control zoneの下限)→0.39μSv/hになります。

上記から明らかに、セシウム137のみしか存在しないときの空間線量率が0.39μSv/hと推定されるということで、他の核種は無視されています。チェルノブイリのときは、事故後4年経過して、セシウム134が1/4程度に減衰してからの基準であったことも考えると、これで良かったのかも知れませんが・・・。

今の日本のようにセシウム134の寄与率が無視できない状況では、セシウム134からの寄与を上乗せして考えなくてはいけません。観測データから、セシウム137とセシウム134の放射能は近似的に1:1くらいですから、そこからセシウム134用の5.4×10-3[(μSv/h)/(kBq/m2)]の換算係数で計算して上乗せすると1.3~1.4μSv/h程度ということになります。

というわけで、現状で、1.3~1.4μSv/h程度以上の空間線量率の地域については、"periodic control zone"に該当する可能性があると言うことになります。

さて、ミスだらけで何が何だか分からなくなってきましたが、まとめると、

(1)ソビエトの管理は、地表面のセシウム137汚染度(1990時点)で行ったもので、空間線量率で行ったわけではない。それを空間線量率で議論するのはミスリーディングだし、セシウム137だけで空間線量率換算するのも現状にそぐわない。また、チェルノブイリのときは、事故後4年経過して、セシウム134が1/4程度に減衰してからの基準であったことも考える必要あり。
(2)periodic control zoneは、移住権利区ではない。移住権利(および義務)が発生したのは555kBq/m2以上。これは、現在の日本では、原発に近い非常に狭い領域に限定されていると思われる。
(3)もともとの定義に従って分類すると、柏は、periodic control zoneではないが、補償対象くらいにはなるかも?四年後くらいに、精神的苦痛による慰謝料と除染施工費用を請求してみますか?

ということです。

いずれにしても、「0.39μSv/h→移住権利区」説は、このように複合的な誤解とミスリーディングが重なって生まれた風説と思われます。

そもそも、ソビエトは、事故発生の1986年から1989年までのひばく線量として180mSvまで浴びてもかまわないというような基準値を設定していました。今の日本よりも遙かに緩い基準値です。それに、ソビエトも末期に近くなってきています。それが、「0.39μSv/h→移住権利」などという潔癖かつ懇切丁寧なことをしたはずがないですよね。

このように、常識的に考えて、おかしいなと思う情報については、検証もしないで無闇に拡散することがないようにしたいところです。もちろん安全に関わる情報ですから素早く流したいという考え方もあるでしょうが、それによって、精神的苦痛を被る人がいるということについてもまた気を遣ってもらいたいところです。

ところで、当たり前ですが、私はこのソビエトの基準を良いと思っているわけではありません。もちろん、このようなずさん(?)な管理でも、セシウム137を原因とする放射線関連疾患が増加したという公式の報告はなく、実はセーフであるという考え方があることは知っています。

とはいえ、いくら何でも緩すぎでしょう。それに表面汚染度を基準とするのも良い事かどうか・・・。やはり線量管理すべきだと思います。

たとえばですが、数年後に10mSv/年以上ならば移住選択権、20mSv/年以上ならば移住義務が発生しても良いかなと思います。まあ、本当はコストのこととか、職とかを捨てて住み慣れた土地を離れることのリスクとかも含めて考えないと行けないので、軽々しくは言えないのですが・・・。


タグ:放射線量
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柏の放射線量(11) [夜話]

今日は久々に、柏の放射線量データの整理の続報です。

まずは、グラフをご覧ください。

Kashiwa_graph_8.jpg

グラフは、縦軸が空間線量率、横軸が日付で、点が観測値、Fitの線が理論曲線です。UTKは東大柏キャンパス、NCC_Aはがんセンターの屋上、NCC_Bはがんセンターの敷地境界を表します。東大柏キャンパスは、5/12で測定地点を変更したので、そこまでで切っています。

がんセンター屋上は、3/21以前の平常値レベルになりました。ほぼバックグラウンド値です。付着した放射性物質が取り除かれれば、バックグラウンド値までしっかり下がるということのようです。

もう一つ、この結果が意味していることとしては、大気中を飛んでいる放射性物質は、ほぼ無視できる状況にあるということです。そうでなければ、バックグラウンド値まで下がれるはずがないわけです。まあ、前から指摘してきたことの繰り返しですけど。

がんセンター敷地境界の値については、「理論曲線よりも少し低めで来ている」と、前回の記事で触れましたが、それに関連して、今回の計算では、134Csと137Csの影響の比を、ゆでがえるさんの提供情報に基づいて変更しています。それにより、若干、フィッティングが改善しています。

今月も、ほぼ理論曲線通りくらいで推移しています。新たに降ってくるわけでも、顕著に洗い流されるわけでもないようです。こんなに雨が降っているのに流れ去らないということは、どうやら、一度吸着されてしまうと、水に溶けにくいかたちで固定されてしまうようですね。ということは、逆に言えば、水たまりとかに濃集するようなことも考えにくいということですか。

今後も、この観測点の値を見守っていきたいと思います。


タグ:放射線量
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シェムリアップの旅(3) [夜話]

三日目


朝、6:30に起きてチェックアウト。

三日目は、きれいに晴れた。これまでのどんよりが嘘のよう。

晴れてると、とたんに街が活気づいて見える。いきなり熱帯の楽園に見えてくるから不思議。太陽は偉大だ。

そして、近くのレストランで、朝食。クメール・ヌードルというのにチャレンジ。朝からラーメン的なものをお腹に入れるのは日本的にはありえないけど、カンボジアでは結構一般的ということらしい。確かに、お客さんがいる。

米から作られた麺が特徴的。スープは、黒いダシ的なもので濁っている。唐辛子を足さなければ、それほど辛くない。正直見た目は良くなかったけど、おいしかった。エネルギー満タン!

午前中は、市内およびその周辺で仕事。あちらの担当者の方と一緒にあちこち、ぐるぐると行きました。

途中、ちょっと風景の撮影。

landscape.jpg

結構、牛さんが多いんですよ。

あと写真を取り忘れたけど、ワンちゃんが多かったです。半分野良犬みたいな地域犬みたいな。ネコはあまり見かけなかったですね。東南アジアでは漢方の材料になっちゃうと言う噂ですが、そういうことなのかな?

午前中で、必須の仕事は終了。

昼食は、遺跡の近くのレストランで。カンボジア風味噌(発酵しているけど豆の原型あり)で味付けた揚げ魚がおいしかった。

午後は、日本政府アンコール遺跡救済チームに、お届け物。かわりに、故障した疑いがある装置を預かる。日本に持ち帰って、チェックするため。

終了後は、ついでにアンコールの遺跡の見学。もちろん、観光を楽しむのもそうですが、遺跡をどう保護・修復していくか、そして、遺跡のみに頼らない観光のあり方など、考えさせられることもたくさんありました。

写真は、アンコールワットの上からの眺め。左側の足場は、修復作業のためのもの。

ankor.jpg

あと、韓国からの団体旅行の観光客が多かったのが印象的でしたね。日本人は、たまに見かけるくらいでした。

さて、ミッション・コンプリートして、あとは帰るだけ・・・と、シェムリアップ国際空港へ移動。

そしたら、なんと予定の飛行機がキャンセルになってた!

チェックインカウンターで問い合わせると、次の便に乗ってもバンコクでの乗り継ぎは不可能とのこと。「バンコクにホテルをとるから、一泊してください」と提案してきた。変な経路をたどると、あとで出張の精算をするときに報告の手間が増えるし、ある程度勝手が分かってきたシェムリアップの方が、行ったことないバンコクよりも気楽かも・・・と思い、シェムリアップで一泊できないかと交渉。

それも可ということだったので、それに一旦話がまとまった。

しかし、迎えのバンを待っていたら、新たな情報が。成田行きでも良ければ、次のシェムリアップ→バンコク便に乗り、バンコクでダッシュすれば今日中に乗り継げるとのこと。また、一応バンコク→成田の席は予約を取ったとのこと。そこで、シェムリアップ宿泊をキャンセルして、それを選択。

欠航のお詫びにと、空港での食事&ドリンク券をくれたので、それで、夕食を食べる。日本風ラーメンなるものに挑戦。

見た目は、クメール・ヌードルに果てしなく似ているけど、・・・大丈夫?

麺をつまみ上げて、びっくり。麺がそばだ!

中華料理が出回っているのに、あえて、日本風ラーメンと言ってるわけが分かったよ。どこで、混ざったんだろ?しかし、これが意外とおいしい。生き残ってるだけのことはある。

さて、お腹も満たされたところで、あとは飛行機に乗って帰るだけ。

ところが、搭乗ゲートで待っていたら、シェムリアップ→バンコク便が30分の遅れ!・・・もともと、乗り継ぎ時間が短かったので、これは、結局間に合わないかもしれないと、バンコクで一泊を覚悟して搭乗。

しかし、この飛行機が、急いでくれたおかげで、おくれを20分取り戻した!

バンコクに降りたら、特別に手配してもらった地上係員のサポートで、乗り継ぎを何とか実現。バンコク→成田便も搭乗を5分待ってくれた。

というわけで、紆余曲折しつつ、結局無事に帰国。帰ってきてみたら、羽田はシステム障害で一時間ほどの遅れが出ていたとのこと。

結果オーライだったかもしれないです。

帰途の私は、多分、公害をまき散らしていたと思います。私の靴は、ゴミの埋め立て地に踏み入れたものですからね。現地で最低限は洗いましたが、いい匂いがしみついてました(笑)。もちろん、靴は帰ったら処分。

以上、2泊3日+機内泊2の弾丸ツアーでした~。

観光で遺跡を見に行くなら、一週間くらいの日程が丁度良いのではないかと思いました。半日では、早送りもいいとこでした。

高級ホテル、遺跡見学や湖の遊覧(?)船、クーレン山の入山チケットなどは、先進国の観光地並みに取ります。高いです。

そのほかは、少し安めの印象でしたが、桁が違うという印象はなかったですね。意外に物価は高いな~と思いました。

観光地は、土産物売り(主に子供)が売りに来ます。たいていは、英語ですが、日本人であることを見抜いて、ちゃんと日本語で売りに来る子もいます。必要な分だけ買いましょう。

治安については、むずかしいところですが、経済水準の割には良さそうだなという印象でした。

観光地では地雷の心配はありませんが、それ以外に足を踏み入れていくときは、信頼できるガイドが必要でしょう。

食べ物についても、やはり気をつけた方が良いでしょう。十分に信頼できる店でなければ、氷、生野菜はやめたほうがいいでしょう。水分補給は、主にココナッツでしました。ちょっと贅沢ですけど、衛生上は安心かなと思ったので。1カ所だけ、ここなら多分大丈夫と思って、氷も生野菜も食べた店がありましたが、まあ、幸いにして、腹痛にはなりませんでした(これも、よい子はまねしてはいけません)。

スコールは、降ってきたら、傘やレインコートでどうにかなるものではないです。屋内待避推奨です。やはり、観光に行くなら乾期がオススメです。しかし、乾期は混むらしいです。考えることは、皆同じ。

時差は程よく、負担がないのは○です。しかし、直行便がないのがつらいです・・・。

トータルとしては、海外旅行中級者以上向けですかね。それなりに場数を踏んでから行ったほうが、落ち着いて楽しめると思います。


以上、プチ旅行記でした。


タグ:旅行記
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シェムリアップの旅(2) [夜話]

二日目

朝は、7:00に起きて朝食。二時間の時差のため、かなり楽に早寝早起き。ホテルの朝食は、バイキング形式。カンボジア料理っぽいのを、一通り少しずつとって食べた。米でできたヌードルがおいしかった。昨夜よりも圧倒的に辛くない。おそらく外国人観光客向けにマイルドになっているんだろう。

二日目は、クーレン山へ。ラテライトの道をひたすら北上。山の上の村に着いた頃には、昼になっていたので、そのままランチ。

かわいらしいお姉さんの清潔そうな店か、周辺の事情に詳しそうなおばさんのちょっと古びた店か。迷ったあげく、おばさんを選ぶ。やや危険な地帯にも足を踏み入れる関係上、情報はもっとも重要。腹痛よりも地雷のほうが怖い。観光できてたら、絶対前者の店を選んだけどね。

出てきた料理を食べると、これが、からい[あせあせ(飛び散る汗)]

クーレン山の観光客は、カンボジア人が多いそうだから、そういうことなんでしょう。そして、ご飯が大量に出てくる。少ないおかずで、ご飯をたくさん食べる。それがカンボジア流らしい。

あと、ネギが超固いんだけど、それは仕様らしい。風味をつけるのに使ってるだけで、カンボジア人も食べないとか。

デザートに買った、米で作ったワッフルみたいなの(ココナッツミルク風味)が、甘くておいしかった。

ガイドの運転するバイクで、さらに山奥へ。

シェムリアップ川の源流に到着。水が非常にきれいだった。当たり前だけど。

water.jpg

途中、豪雨に遭う(^_^;)・・・熱帯の雨期を肌で感じる。目が開けづらい。本当にシャワーを浴びているようだ。さすがに、カメラも出せない。

豪雨に負けて、素早く帰る。

次は、山を下りて、ちょっと汚いところへ。

waste.jpg

ゴミの埋め立て地です。いろいろ考えさせられます。

市内へ戻る途中、すこし遺跡を見ました。

temple.jpg

市内へ帰り、夕食。カンボジア風中華料理を楽しむ。

夜は比較的涼しいので、市内観光もしてみたかったけど、いかんせん眠い。山の上で雨に打たれて、かなり体力を消耗してる。次の日も仕事あるわけだし。

・・・悩んだ結果、おとなしくホテルへ帰って就寝・・・(^_^;)

(続く)


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シェムリアップの旅(1) [夜話]

ちょっと、遅くなってしまいましたが、出張で行ってきたシェムリアップの旅行記です。

研究に密接に関わる部分は、大人の都合(笑)で非公開です。ご容赦くださいm(_ _)m


羽田空港の国際線ターミナルを初めて利用。節電のため、照明は控えめ。それが、幻想的な雰囲気を醸し出していて、かえっていい雰囲気だと思った。

保険のブースで、一つ前の人が時間がかかったせいで、ちょっと待ったけど、ほかは、チェックイン、手荷物検査、出国手続きとも、すべてスムーズ。成田とは大違いだ。それともただの時間帯の問題か。

飛行経路は、羽田→バンコク→シェムリアップ。

ただ、羽田→バンコクの飛行機が速く飛びすぎて、睡眠時間が短縮されてしまったのが少し悲しかった。そして、バンコクで、次の便のチェックイン開始時刻までに時間があったため、眠いのに寝れない(セキュリティ上あまり海外の空港で寝たくはないと思っている)暇な時間ができてしまった。飛行機は、早く着くばかりがいいわけでもない。

バンコク→シェムリアップは、プロペラ機・・・。観光バスみたいなサイズ。国際線とはいっても、すごく近いので当たり前か。

一時間程度のフライトだけど、機内食がでた。羽田→バンコク便でも着陸直前に朝食的なものがあったので、二重に朝食をとることになった(^_^;)

シェムリアップの空港は国際空港だけど小さな空港だ。到着後の入国手続きも早い。なんと言ってもターミナルが小さいから歩かなくていい。

今回は、空港に迎えの車が来てくれるという超VIP待遇。こういうのは珍しいけど、本来は教授が行くべきだった仕事の身代わりなので、こんなものか。

ドライバーは英語をしゃべってくれるので助かる。これで、遠いところにも安全に調査に行けるし、豪雨に悩まされる心配もない。

車で、市内へ移動。空は、どんより曇っている。街も色あせて見える。雨期が始まっているので、仕方がない。

ドライバーに聞いたんだけど、シェムリアップは、本当の意味からすると、「シェムの敗北の地」ということらしい。「クメール勝利の地」にしないところが、感覚の違い?

ホテルにチェックインした後は、急ぎ、トンレサップ湖へ。ラテライトの道路は、ところどころ大きく凹んでいて、あまり快適ではない。砂利道よりは、ずっとマシだけど。今更ながらアスファルトの道路って快適なんだと気づかされる。

湖の上では、みなさん水上生活。家、店、レクリエーション施設まで、すべて船上。子供たちは、水の中で遊んでいたが、お世辞にもきれいな水質ではない。当然ながら排水もゴミも湖に捨てられている。それに、ワニもいると聞いてたけど、大丈夫なのかな?

湖の写真。水草が浮きまくっていて、湖には見えないかも知れないけど、水上です。

tonlesap.jpg

この草がやっかいで、船の針路を阻む。おかげで、あちこちで渋滞していた。

調査終了後、市内に引き返し、少し遅めの昼食。

次は、郊外の水路や川の調査。雨期だからか、濁っている。

river.jpg

多くの川が、あまり川幅が大きくなく、こんな感じです。近くに、集落を作って住んでいます。

雨期なので、調査中も、いきなり豪雨が降ってきました。時間が短いのが救いで、車の中でちょっと待てば、大丈夫でした。

わかりにくいけど、こんな感じ。

rain.jpg

終了後は、市内へ引き返して、夕食。5ドルで食べ放題・飲み放題+伝統舞踊の舞台付き。

唐辛子をダイレクトに食べなければ、そこまで辛くはない感じ。・・・と気づく前に、かなり唐辛子を食べてしまった(T_T)・・・もともとあまり辛いのは得意じゃないのに。

特別に気になったのとしては、カップ麺の麺によく似た感じの料理があった。聞いたところ、日本に来たカンボジア人もカップ麺に対して、その料理に似ていると思うそうだ。

食事後は、ホテルへ帰って、就寝。一日目終了です。

(続く)


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帰ってきました [夜話]

帰国しました。

二泊五日は、疲れました・・・(^_^;)

旅日記は、おいおい更新の予定。

ひとまず、生存&帰還報告。


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