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ホットパーティクル説へのコメント [夜話]

ホットパーティクル説へのコメントです。

(1)ホットパーティクルとは、放射性物質でできた微細粒子もしくは、放射性物質が付着した微細粒子のこと

>そういうのは、多分存在するし、関東まで飛んできてたでしょう。それが降下したから地表が汚染されたんでしょうし、KEKなどでの大気中の放射性物質の濃度の分析結果もあります。


(2)大きさは、髪の毛の直径よりも小さい

>そりゃ、そうでしょう。逆に、髪の毛の直径ほどもあったら目視できるレベルだし。でも、なぜ髪の毛と比較するのか、意図が分からない。身近なものにたとえたのかも知れないけど、そもそも髪の毛の直径なんて一定じゃないし、比較する相手として全く適さない。はっきり粒径の目安を言えばいいのに。


(3)含まれる放射性同位体は、いろいろと可能性が考えられる。セシウムなどのほか、溶融した燃料片が混入していればプルトニウムなどを含む可能性もある

>どういうものかはっきりと分析されていない以上、いろいろ可能性があるとしかいえないのは仕方ない。ただ、KEKなどでの大気中の放射性物質の濃度の分析は感度が最高クラスなので、そこで検知できなかったものが含まれていることは考えにくい。燃料片の混入の可能性も、燃料が溶融し、格納容器が損傷した以上、完全否定はできない。福島第一で中性子線が検出されたこともあることから、むしろ定性的には、どれだけかは炉外に出たと見るべきでしょう。ただし、福島第一原発の敷地内での土壌のPu分析結果でさえ、環境土壌と同程度の濃度レベルであることから、非常に微量であったはず。


(4)微細かつ微量で一般的なGM計数管で探知することは難しい

>程度問題だけど、あまりに微量だとそうかもしれない。バックグラウンドとの分離が難しい。でも、Geシンチレーションカウンタならエネルギースペクトルも分かるので検知できるでしょう。α線や中性子線のみってこともありえないでしょうしね。


(5)エアーフィルターを用いた計測に基づくと、呼吸による吸入に換算して、四月現在で、300~400個/日(福島)、10個/日(東京)、5個/日(シアトル)と推算されている

>これは、いろいろおかしい。まず、計測方法が全く不明。推測するに、フィルターをつけて吸引した後、フィルターに感光フィルムでもつけて、輝点の個数を数えたのか、シンチレーションカウンタで計測かな。ただ、フィルターの仕様は明らかでなく、通過している粒子もあるかもしれないし、逆にフィルター自体の元々のクリアランスレベルによっては、ホットパーティクルでないものも含まれるかも知れない。次に、なぜ最初から呼吸による吸入量に換算して出すのかも分からない。呼吸量なんて年齢や個人差が非常に激しいし、生活の仕方でも大いに変わる。普通なら空気中の密度や濃度を出し、そのあとで、いろいろな仮定を示したうえで推算すべきだと思う。また、なぜ個数で表記するのかもよく分からない。比較的放射能の大きなものもあれば小さなものもあると思うんだけど、それを無視して個数表記することの意味が分からない。やはり、KEKなどのように、○○の同位体が××Bq/cm3とすべきだと思う。最後に有効数字の問題が適切に扱われていないのも非常に気になる。呼吸量や空気中の濃度の不均質性などの多大な不確定性がある以上、せいぜいオーダーの議論しかできないと思うんだけど、10個と5個の差に意味があるかのような表現になっている。このあたりは、「科学が分かってない」という香りを醸し出してしまっている。ちなみに、成人の呼吸量が10~20m3/日くらいらしいので、そこに10個含まれるというならば、大気中の個数密度は1個/m3程度のオーダーということのよう。


(6)金属味がある

>それは気のせいでしょう。どんなスーパー味覚なのか。濃度の高かったセシウムやヨウ素の化合物のリストを眺めても、これといって該当するものが見あたらない気がする。


(7)微量だからと言って安全とは限らない。肺などに付着すると、そのまわりだけが局所的に被曝する可能性があり、その局所が受け取る質量あたり被曝線量(Gy値やSv値)は大きい

>これは、代表体積の取り方を利用したトリック。Gy値は、質量あたり受け取る放射線のエネルギーだし、Sv値は、それに人体用に補正係数をかけたもの。というわけで、基本的には質量あたりのエネルギー量で表されている。この「質量あたり」と言うところがミソ。そもそも、突き詰めて考えると、放射線が組織に当たったとした場合、その衝突地点は、ほぼ点であって、そこの部分の質量はきわめて小さい。もし、そのポイントの質量で放射線から受け取ったエネルギーを割り算したりすれば、無限大に近いGy値やSv値をたたき出すことも可能になる。しかし、そういうミクロの世界に入り込んで行くのではなく、一定のバルクの大きさの平均値(たとえば組織当たり線量)を出して、それで考えましょうというのが、普通のやり方である。そして、それに従ってSv当たりの健康影響なども整理されてきている。従って、代表体積以下の局所だけを取り出した場合は、従来の健康影響への換算係数を使うことはできない。

では、代表体積の取り方は、ミクロな方が良いのか臓器くらいのサイズの方が良いのか。平均的に臓器全体がアタックされる場合に比べて、局所だけのダメージの場合の方が、アポトーシスで臓器全体に影響しないように処理できる確率は高く、健康影響が現れにくいというのは自然だと思う。そういうわけで、代表体積を臓器くらいのサイズに取って健康影響を評価するという普通のやり方のほうが自然で、局所だけ取り出すことを科学的に正当化することは難しいと思う。


(8)(3)とも関連するが、もし、プルトニウムを含んでいる場合には、プルトニウムは微量でも毒性が高い(年間摂取許容量は5×10-8g)ので、危険である。

>それを言うなら、ホットパーティクルの個数ではなくて、質量密度かBq数を計測してもらわなくてはね。やってることと、言ってることが、ちぐはぐな感じ。ちなみに年間摂取許容量相当なら、10-8Bq/cm3程度の濃度にはなるはずなので、適切な機器・方法で計測すれば検出できるはずです。まあ、出ない可能性が高いと思うけど。


というわけで、これまでの大気中の放射能計測結果をひっくり返すとは思えないし、そのほか表し方の問題などもあって、個人的にはあまり信頼できない話だなあと思います。でも、意外に高度な仮説なので、科学者でも信じる人もいるかも知れないなあという印象です。特に(7)のトリックは非常にレベルが高い。学会とかで同じようなミスをしている発表をたまに見かけるくらいなので。あと、微量かゼロかの境目は現実的には証明できないこともあり、ホットパーティクル説は今後も根強く残ると思います。


ホットパーティクル説 [夜話]

放射性の微細粒子、「ホットパーティクル」というのが東京でも結構飛んでいる(or飛んでいた)ということをアメリカのガンダーセンさんがyoutubeで言っていたりして、ちょっとネット上で少し話題になっているようです。あと京大の小出さんも、やや方向性は違うもののホットパーティクルについて少し解説されてるようです。

コメント欄でも質問が出ましたし、ちょっと調べてみました。

まず、動画(たとえば)を見てみました。これは、講演会か何かのプロモーションビデオなのかな?個人的には、字幕はちょっと邪魔・・・。ガンダーセンさんの言いたいことは伝えられているとは思うので、誤訳と咎め立てするほどでもないけど、若干ミスリーディング入ってるような。

それはともかくとして、その他の彼の動画やネット上で言われている話を総合すると、ホットパーティクル説の骨子は、多分以下の通り。

(1)ホットパーティクルとは、放射性物質でできた微細粒子もしくは、放射性物質が付着した微細粒子のこと
(2)大きさは、髪の毛の直径よりも小さい
(3)含まれる放射性同位体は、いろいろと可能性が考えられる。セシウムなどのほか、溶融した燃料片が混入していればプルトニウムなどを含む可能性もある
(4)微細かつ微量で一般的なGM計数管で探知することは難しい
(5)エアーフィルターを用いた計測に基づくと、呼吸による吸入に換算して、四月現在で、300~400個/日(福島)、10個/日(東京)、5個/日(シアトル)と推算されている
(6)金属味がある
(7)微量だからと言って安全とは限らない。肺に付着すると、そのまわりだけが局所的に被曝する可能性があり、その局所が受け取る重量当たり被曝線量(Gy値やSv値)は大きい
(8)(3)とも関連するが、もし、プルトニウムを含んでいる場合には、プルトニウムは微量でも毒性が高い(年間摂取許容量は5×10-8g)ので、危険である

もっともらしいような胡散臭いような・・・。「あり得るかな?」と思える話も含まれてはいるんだけど、「それは、どうなの?」というところも多い。というわけで、それぞれのポイントに対する私のコメントを次の記事にまとめてみます。


彷徨うマーゴンさん [夜話]

台風が通過した昨日の夜から今日にかけて、まるで秋のような涼しさ。過ごしやすいですね。土用とは思えません。

太平洋上を彷徨う台風六号に向かって北よりの風が吹くおかげでしょうか。

一時的でもエアコン不要というのは、ありがたいですね。今日の消費電力の低さは、この時期としては驚異的でした。

マーゴンさんは、西日本では豪雨を降らせ、大変な台風でしたが、それが勢力を保ったまま東北を直撃・・・ということにならなかったのは、良かったです。


タグ:時事 blog

愚痴 [夜話]

分からないことがあったとき、とりあえず、「説明書・マニュアルを読む」、「資料や辞書を調べる」、「ネットで調べる」・・・というようなことをしてみるのは、普通のことだと思っていたんだけど、どうも、そうでもないらしい。

・・・と、最近の若い人を見ていて、そう思う。

いや、私も年齢的に最近の若い人の範疇に入るつもりだけれども。

分からないことが出てきたときに、何も自力では調べないで、すぐ先輩とかに聞こうとするのは何故。

残念ながら、世の中は、詳しい人ほど忙しいし、みんな聞きに来るから渋滞してる。従って、聞こうとしても簡単には捕まらない。ネットで調べればすぐに分かるようなことを聞かんがために、順番待ちで、無為に時間が過ぎていく。自分でやれば10分で済むことが、人に頼るがために10日かかる。

もちろん世の中には、逆に聞いた方が早いこともたくさんある。そういうのは、調べたら簡単に分かるとかそういうものではなく、経験した人にしか分からない押さえどころというもので、どこにも書いてないけど、知ってる人は知っているという世界。そういうことについては、素人が一からやったら1ヶ月とか数年はかかるようなことはザラだけど、その道のプロに聞けば一瞬で解決することもある。そういうことは、むしろ聞けばいいと思う。そういうことを尋ねられれば、聞かれた方も内心ちょっと誇らしげなところもあると思うし。

でも、どこにでも書いてあるようなことを聞かれたら、勘弁してよって。人間だからそう思うし、それは効率悪い。

・・・というか、実際、常識的なことからかなり専門的なことまで、今では、正直ほとんどネットの検索エンジンには敵わない。そういう意味では、「専門家」の存在意義は、かなり薄れてる。調べれば、すぐに何でも書いてあるからね。

「知識」という観点から、人間が勝るところとすれば、ディープな経験を積まないと分からないこと、あふれる情報の中から誤謬や不要なものを棄却し、必要なものを取りだして体系化する能力・・・と言ったところだけだと思う。

というわけで、わざわざ人を捕まえてディスターブして質問するからには、そういう部分を問わないと意味ないんじゃないかなと思う。

最近、どうにも非常に基本的なことを聞いてくる後輩が多くて悩ましい。

もちろん、一見基本的なことでも、突き詰めると実は難しいこともたくさんあるし、それを聞くならば、それも価値は高いと思う。ただ、そうならば、「常識的には、こう言われてるけど、実はこう考えると難しくて、分からなくなってきました」とか、そういう聞き方になるはずで、それは聞かれた方も楽しい。そこから、面白い発見につながる可能性もあるし。

ところが、そうではなく、全くの不勉強丸出しでの質問では、ちょっと困ってしまう。

あと、あまりに仕事が遅くてシビレを切らして、「この前言ってた計算結果、今日中にお願いね?」って催促すると、「じゃあ、やり方教えてくださいよ」っていうやつ。「じゃあ」って何?なぜ、未だにやり方を知らない?それは絶対何度か教わる機会があったはずだよね?問いただしてみると、そのときはまじめに聞いてなかったですと?忘れたとしても、なぜ、頼まれたときに、聞かない?そして、未だに調べもしてない?ちょっと、調べて常識で考えればすぐ分かることだと思うよ?・・・何重ものクエスチョンマーク。

笑顔で答える努力はするけど、引きつるよ、正直・・・。

最近、あまりに簡単なことには答えない方が良いのかなとも思い始めてきた。それは、むかつくから意地悪するというわけではなく、あまり何でも教えてしまうと、「とりあえず、ちょっと調べてみる能力」とか、「とりあえず、自力で少し考えてみる能力」というのを開発するチャンスが無くなってるんじゃないかと、そして、一度教わったら身につけてやるというどん欲さもなくなるんじゃないかと、ふと思ったから。

考えてみると、今の教育は、何でもサービスが行き届きすぎていて、困ったときに自力でガタガタやって何とかする・・・っていう経験を積むことが逆に難しくなっているのかもしれない。でも、仕事で何かをやるかぎりは、困難にあたることは当たり前で、しかも誰も頼れない・・・というシチュエーションはとても多いと思うので、絶対に必要な心構え&技術だと思うんだよね。

・・・というわけで、「○○は調べてみた?」と、逆に聞き返すのを始めてみました。もし(・・・というか、たいていそうなんだけど)、調べてなかったら、「次からは、そこくらいは自力で調べようか」・・・とソフトに説教。最近は、すぐハラスメントになるらしいので、そこは細心の注意。

こんなんで、良いのかしらん?

以上、愚痴でございました。くだらない話で、すみませんm(_ _)m


タグ:教育

地デジ化 [夜話]

お久しぶりです。ちょっと見ない間に、皆様コメントありがとうございます。

最近、ちょ~っと忙しいので、少しずつ読んでお返事しますm(_ _)m


さて、話は変わりますが、地デジ対策お済みですか?あと5日らしいですよ?

水琴?

全然ダメです(笑)

集合住宅なので、アンテナは大丈夫なんですけど、チューナーの方が問題です。テレビを新しくするか、チューナーを買うか、チューナー内蔵のDVDデッキにするか・・・とか、テレビを買うとしたら、どれくらいの大きさで、どこのメーカーにするか・・・とか、ウジウジ考えたりして、今は仕事忙しいし、また来週考えよう・・・とか、ついつい先送りにしていたら、とうとう間に合わない感じになってきました・・・。

何やってるんだか。

まあ、いいんです。

最近見ている地上波は、NHK杯くらいですから。なくなっても、すぐに何か困るかというとそうでもないような気もします。台風の動きなどの災害情報も、インターネットで見られるので、実は意外に大丈夫。

とはいえ、いつまでも放置するのも何なので、月末くらいには手を打ちたいところですが・・・。

地デジ化してしまえば、テレビの値段は下がるのか、あるいは、私と同じように遅れて駆け込む人のせいで値上がりするのか・・・。どうなんでしょうね?


タグ:時事

ゴミ焼却場の放射能汚染 [夜話]

いつかは問題になって来るであろうと思っていましたが、各自治体のゴミ焼却場の焼却灰の放射能レベルが高いということが話題になってきました。

ある程度の広さから集めてきて、燃やしてかさを減らすので、濃縮されるのは、ある意味では当たり前な話です。草刈りもする季節なので、余計でしょう。

報道によると、たとえば柏の焼却場のレベルは、原発北西方向の高線量地域の表層土壌に匹敵するかやや上回る水準と思われ、扱いにはそこそこ注意が必要なものと思います。とりあえず、一時保管というのが現状ですが、いつまでもそういうわけにはいかないでしょう。流山市は、うっかり(?)普通の処分場に送ってしまったらしいですが・・・。まあ一度や二度で現実に支障を来すかというとそうでもないでしょうが、継続的にやってはいけません。

放射性物質に限らず、汚染の対策は、二通りです。

(1)濃縮して容量を減らし、特別な場所で厳重保管する
(2)希釈して普通に捨てる

(1)は、ごく一般的な方法です。ゴミを収集・減容して1カ所に集めて処分するのは、私たちの本能と言ってもいいくらいです。今回の場合は、焼却灰を処理施設に持って行って1000~10000倍程度に濃縮し、低レベル放射性廃棄物として六ヶ所村に地中処分するという戦略になるでしょう。どのようにして濃縮・輸送するかということが技術的に確立していれば、すぐにでもできそうです。医療施設や研究施設などからでる放射性廃棄物などを処理する流通網や設備はすでにあるわけなので、それを少し修正すれば、個人的には、あまり難しくなさそうに思いますが、話が動き出さないところを見ると、何か課題があるのでしょうか?予算確保に手間取っているとかでしょうか。あと、低レベル放射性廃棄物処分自体に反対している人々がいることも事実です。そこでスタックしてしまうようだと、(1)の方法は使えません。

(2)は、どうでしょうか。エントロピー増大の法則(万物は必ず散らかる法則)に敬意を表するならば、本来的には(2)の方法がオススメです。(1)は、管理にほころびがあると、濃縮しているだけにいろいろと面倒です。(2)の方法では、すでに薄まっているので、そういう問題は発生しません。将来的な生物濃集の可能性を勘案しても、1000-10000倍程度に薄めれば、経験的には無害と言っても差し支えなくなるでしょう。具体的には柏の焼却灰1kgにつき、汚染されていない焼却灰1~10tを混ぜて一般廃棄物化して処分する・・・ということになりますが、こちらもまた、考えてみると1000-10000倍程度薄めるというのは意外に大変なのかもしれませんね。

こうしてみると、どうも、濃度が中途半端にいやらしいという事のようです。(1)のためには、1000~10000倍濃集させる必要があり、(2)のためには、逆に1000~10000倍薄めなくてはいけない。かといって、何もしないで処理していいかというと、それはぎりぎりアウトな気がします。

どちらの選択をするとしても、さっさと実証試験くらいはやりはじめないと、現実に焼却灰はどんどん貯まってしまうので、結構忙しい問題です。

遠い将来に実現するのかしないのか分からないような脱原発の夢を語る前に、まず、こっちが喫緊の課題だと個人的には思うのですが、なかなか地に足の付いた話が出てこないので、歯がゆい感じです。報道されてないだけとかで、実際には水面下で進んでいるのなら良いんですけどね。


プログラミングは難しい・・・ [夜話]

数値シミュレーションを生業とする研究者でも、最近は自分でプログラムコードを書かずに、できあいの解析ソフトを使っている人もいるらしい。私は、別に数値シミュレーションだけやっているわけでもなく、別に古風(?)んばこだわりを持っているというわけでもないけど、自分で書き起こすことが多い。

別にできあいのソフトで良いのがあれば、それでも良いと思っているんだけど、実際には妥協せずにあれこれ機能にこだわりだすと、結局どれも自分の理想に合わないので、自作せざるを得ないというのが、一番の原因。

ただ、自作すればしたで、悩みが多いのも事実。当たり前だけど、やはり、自分で書いているだけあって(笑)、バグが多い。

もちろん何年もやっているので、プログラムの動作に致命傷を与えるようなものは、簡単に取り除けるようにはなったけど、問題はまともに動いてるフリして、答えが間違っているというタイプ。当然、自分の用意しているエラー検知システムをかいくぐってくる。しかも、大間違いならすぐ気づくけど、ちょっとだけ「?」という程度の症状のもの。

そういうのは、大体が、わずかなバッファーオーバーフローが原因だとは分かっているのだけど、その場所を探し出すのが大変。

バッファーオーバーフローは、OSなどでそういうバグがあると、そこからウイルスを実行させるスキになったりするということで、セキュリティ用語として有名かも知れません。私のプログラムは、別にスキになったりすることはないけど、要は、メモリ上に予定で用意した領域サイズ以上の情報を送り込んでしまい、そして、知らないうちに予定外のメモリ領域を浸食し、不思議な動作を始めてしまう・・・。予定外の領域なので、何も変更の命令を与えていないはずのところが書き換わってしまっていたりする。

まあ、要は、勝手にパンクして誤動作し、自爆しているということなわけですが・・・。

そんなの簡単に検知できそうだけど、意外に簡単ではない。たとえば、私はコード内に自作で埋め込む検知システム以外に、普段から配列のオーバーフローを検知するような命令も与えてコンパイルしているので、理論上は見逃さないはず。しかし、おそらくその命令も完璧ではなく、現実には、わずかに見逃してしまうケースがあるということのようだ。

コンピュータ自身が気づかないわずかなほころび・・・。それをどうやって探すかというと、結局、最終的には、どこで破綻が開始しているかを前後から挟んでいって確認するという原始的な方法で探すことになる場合がほとんど。そして、絞り込んできたら、アルゴリズム上は順番が逆でもいいものを逆にしたりして、動作の変わり具合を見て当たりを付け、あとはじっと眺めて誤りを探すという感じ。

探し当てたときには、嬉しいと言えばそうですが、なぜにこんなにダイレクトにおかしいものが気づかれないで実行されてしまうのか、コンピュータの神秘にも首をかしげます。

もちろん、いい加減でも動いてくれる部分があるから、「多くの場合まっとうに動くけど、まれに誤動作する程度のバグを含むプログラム」という段階でも、答えが出てくるようになるわけで、それがメリットになるときもあるとは分かっているのですが・・・。

それにしても、ミクロには0と1という単純な仕組みで動作しているものが、マクロな結果としてファジーな挙動を見せるのは、何とも不思議。

バッファーオーバーフローを厳しく検知できる一般的な仕組みが、未だに開発されておらず、日々そのバグを含んだソフトが世に供されている現状を見ると、その不思議な挙動は、未だ人間の完全なる理解の支配下におけていないのかもしれません。

それとも、そのような厳しい仕組みを作ってしまうと、逆にあまりにも厳しすぎて、ミスの多い人間では永遠にコードが完成させられないということもあるのかも・・・?

まあ、何にしても間違っているものは直していかないと行けないので、やることは一緒。

日々、間違い探し。これは、しょうがない。

今作っているのは、意図したとおりに動いてくれれば、私の分野で50年来の謎とされてきた部分に対して、自分の開発した最新理論を組み込んで解析できる世界で一つのプログラム。その夢を励みに、地味にコツコツ頑張るのです・・・。


暑気払い [夜話]

最近、暑気払いのスケジュールが増えてきている。

今年の気候のせいか、震災のストレスか、三月・四月の過剰な自粛ムードの反動か、節電によるストレスか・・・。

理由はよく分からないけど、例年より頻度が多い気がする・・・。そして、いろいろなところから誘いがかかる。

別に飲み会は嫌いじゃないし、良いんだけど・・・。

問題は、私が、平均的に言って、400g/回のペースで増量をしてしまうということ。週三回あると、1kg以上増えてしまう。身体を動かさない仕事なのが祟っている。

普段、あまり頓着してはいないんだけど、さすがにこのペースはまずいので、それ以外の日に節制して、削ることを考える必要がある。

梅雨と仕事の忙しさを言い訳に中断していたジョギングを復活させれば何とかなるかな・・・。


タグ:blog

梅雨明け [夜話]

梅雨明けしたとのこと。

確かに、今日はすばらしい快晴だったし。

いよいよ、夏本番か~。

いつもなら、嬉しいところだけど・・・。今年は、電力の問題がね。

これまでは、比較的供給余力があったけど、これからどうなるかは、ちょっと不安。

とりあえず、来週の平日の状況が、今夏の一つの目安になりそう。


タグ:風物詩

危険性と規制と対策と(2) [夜話]

前回は、やや行く先が見えにくい話になってしまいましたが、要は、世の中はいろいろな人がいてそう単純ではないであろうということが、私の考えです。

言ってしまえば、放射線の健康影響について楽観的→対策不要と考えている・・・とか、悲観的→直ちに対策が必要と考えている・・・という風には、簡単には結びつけられないというのが、私の見方です。人間というのは、もう少し複雑で、いろいろな考えを経て各人の結論にいたるのではないかと想像するのです。

例を挙げてみます。もちろんですが、事実と一致するか否か、私が正しいと思うか否かとは関係なく、私自身が想像する考え方のバリエーションの例です。

(意見1)現状の放射線の健康影響は、非常に危うい状況にある。行政や東京電力は、ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと何らかの対策を実施すべきである。

(意見2)現状の放射線の健康影響は、非常に危うい状況にあり、直ちに対策が必要である。しかし、行政は昨今の財政状況と政治の風潮では期待できないし、東京電力も含めて、目下のところはフクシマにかかりきりである。そもそも、彼らに任せるとしても、どうせ、将来的には税金もしくは電気代として、対策費用を払うことになるわけだから、さくっとポケットマネーを出して、今のうちに対策をしてしまったほうが良い。

(意見3)現状の放射線の健康影響は、危険性があるかも知れない状況にあり、直ちに対策が必要である。しかし、費用の工面も大変だし、有効な施工方法も不明であって、実現は容易ではなく、今、みだりに動くべきではない。

(意見4)現状の放射線の健康影響は、危険性があるかも知れない状況にあり、直ちに対策が必要である。現状では実施は難しい。とはいえ、近いうちに国か東京電力が動くであろう。今、みだりに動くべきではない。

(意見5)現状の放射線の健康影響は、危険性があるかも知れない状況にあり、直ちに対策が必要である。とはいえ、他にも我々が力を注がなくてはいけない問題はあり、必ずしも優先順位が一位とも限らない。

(意見6)現状の放射線の健康影響は、危険性があるかも知れないけど、よく分からない。というわけで、対策してくれるなら、それに越したことはない。でも積極的に打って出るほどでもない。

(意見7)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。ただし、そもそも原発からの影響は1mSv/年に押さえるという規制があった以上、政治的合意としては、その基準を満たすように行政・東京電力は最大限の努力をしなくてはいけない。

(意見8)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。しかし、ICRPの放射線防護基準の考え方に乗っ取って線形内挿仮説を採るならば、政治的合意としては、被曝線量を抑えるよう最大限の努力を払うことが必要とされる水準にあるわけだから、何らかの対策を実施することが期待される。

(意見9)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。しかし、ICRPの放射線防護基準の考え方As Low As Reasonably Achievableに乗っ取れば、不要な被曝は避けるというのが社会的な通念であり、健康影響の有無や規制値に関係なく、被曝量は可能な限り低くしなくてはいけない。したがって、何らかの対策を実施することが期待される。

(意見10)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、その点では直ちに対策が必要とは言えない。しかし、風評被害は、物質的・精神的被害を問わず、現実に深刻である。それに対処するためには、とりあえず何らかの線量低減策を採る意味はある。

(意見11)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。しかし、心配で心を痛めている人がいるのは事実だし、そのことを思いやるならば、何か対策してもいいかもしれない。

(意見12)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。しかし、放射線対策という名目で、土木工事等が増えれば、景気への刺激になるかも知れない。というわけで、とりあえず何らかの対策を実施するよう要求しておこう。

(意見13)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。そもそも現状の規制値は科学的知見に照らせば厳しすぎる。ICRPの内挿仮説も科学的根拠はない。国民によく説明して規制緩和するのが妥当である。

(意見14)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。何らかの対策をするのは、お金の無駄である。

(意見15)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。心配すること自体がおかしいし、議論の対象となること自体が信じられない。


以上、ざっとあげてみましたが、これは個人が数十分程度で考えた範囲であって、現実はさらに複雑微妙でさまざまだと思います。

それはともかくとして、現状認識と、最終的な対策への考え方は、必ずしも関連はなく、非常にバリエーションがあり得るということが、私の言いたかったことです。

現状をどう認識するか、そしてどのように対応するかも個人の考え方・自己責任と言ってしまえばたやすいですが、実際には、私たちは一定の空間を共有して過ごしているわけで、ある程度は意見をまとめて協調して動かなくてはいけないところが必ずあります。

そういうときには、やはり、まずはお互いの考えを謙虚に、慎重に理解し合うところから始める必要があるでしょう。その上で、一致できる部分を探っていきましょう。

世の中は、単純に二元論では割り切れないですし、最初にレッテルを貼ってしまうと、その先が見えなくなってしまうと言うことがよく起こります。そして、それが信頼関係の破綻につながるというのが、よくあるストーリーです。

平時ならば、それもまた、とある国のとある地方のとある一コマということで済まされるかも知れませんが、今は、それでは困ってしまうと思います。

現実は複雑で、しかし、それが故に、少なくとも部分的には理解し合い、歩み寄れる可能性はあると私は信じています。現状が危険か否かで意見が相違したとしても、対策の必要性の有無では意見が一致するなんて言うこともあり得るわけです。

特に、これからリーダーシップを取って、何らかのDicision makingをやっていこうと考えられている方には、是非、そういう可能性を含めて、人々がバラバラにならないような道を探ってほしいというのが、私の希望です。

かつて、地元で、賛成派と反対派に別れた人々は、結局、それ以前からの居住地域の違いや所得水準等による軽い差別意識も相まって、何だかよく分からないしこりを残しました。

それは、しかし、本来であれば避けられたことではないかと思っています。

私は、日本が、柏が、同じ轍を踏まぬよう、しかるべく丸く収めつつ、かつ次の有意義なステップを踏み出せるようにと切に願っています。


タグ:思想 政治 科学

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