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ホットパーティクル説 [夜話]

放射性の微細粒子、「ホットパーティクル」というのが東京でも結構飛んでいる(or飛んでいた)ということをアメリカのガンダーセンさんがyoutubeで言っていたりして、ちょっとネット上で少し話題になっているようです。あと京大の小出さんも、やや方向性は違うもののホットパーティクルについて少し解説されてるようです。

コメント欄でも質問が出ましたし、ちょっと調べてみました。

まず、動画(たとえば)を見てみました。これは、講演会か何かのプロモーションビデオなのかな?個人的には、字幕はちょっと邪魔・・・。ガンダーセンさんの言いたいことは伝えられているとは思うので、誤訳と咎め立てするほどでもないけど、若干ミスリーディング入ってるような。

それはともかくとして、その他の彼の動画やネット上で言われている話を総合すると、ホットパーティクル説の骨子は、多分以下の通り。

(1)ホットパーティクルとは、放射性物質でできた微細粒子もしくは、放射性物質が付着した微細粒子のこと
(2)大きさは、髪の毛の直径よりも小さい
(3)含まれる放射性同位体は、いろいろと可能性が考えられる。セシウムなどのほか、溶融した燃料片が混入していればプルトニウムなどを含む可能性もある
(4)微細かつ微量で一般的なGM計数管で探知することは難しい
(5)エアーフィルターを用いた計測に基づくと、呼吸による吸入に換算して、四月現在で、300~400個/日(福島)、10個/日(東京)、5個/日(シアトル)と推算されている
(6)金属味がある
(7)微量だからと言って安全とは限らない。肺に付着すると、そのまわりだけが局所的に被曝する可能性があり、その局所が受け取る重量当たり被曝線量(Gy値やSv値)は大きい
(8)(3)とも関連するが、もし、プルトニウムを含んでいる場合には、プルトニウムは微量でも毒性が高い(年間摂取許容量は5×10-8g)ので、危険である

もっともらしいような胡散臭いような・・・。「あり得るかな?」と思える話も含まれてはいるんだけど、「それは、どうなの?」というところも多い。というわけで、それぞれのポイントに対する私のコメントを次の記事にまとめてみます。


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彷徨うマーゴンさん [夜話]

台風が通過した昨日の夜から今日にかけて、まるで秋のような涼しさ。過ごしやすいですね。土用とは思えません。

太平洋上を彷徨う台風六号に向かって北よりの風が吹くおかげでしょうか。

一時的でもエアコン不要というのは、ありがたいですね。今日の消費電力の低さは、この時期としては驚異的でした。

マーゴンさんは、西日本では豪雨を降らせ、大変な台風でしたが、それが勢力を保ったまま東北を直撃・・・ということにならなかったのは、良かったです。


タグ:時事 blog
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愚痴 [夜話]

分からないことがあったとき、とりあえず、「説明書・マニュアルを読む」、「資料や辞書を調べる」、「ネットで調べる」・・・というようなことをしてみるのは、普通のことだと思っていたんだけど、どうも、そうでもないらしい。

・・・と、最近の若い人を見ていて、そう思う。

いや、私も年齢的に最近の若い人の範疇に入るつもりだけれども。

分からないことが出てきたときに、何も自力では調べないで、すぐ先輩とかに聞こうとするのは何故。

残念ながら、世の中は、詳しい人ほど忙しいし、みんな聞きに来るから渋滞してる。従って、聞こうとしても簡単には捕まらない。ネットで調べればすぐに分かるようなことを聞かんがために、順番待ちで、無為に時間が過ぎていく。自分でやれば10分で済むことが、人に頼るがために10日かかる。

もちろん世の中には、逆に聞いた方が早いこともたくさんある。そういうのは、調べたら簡単に分かるとかそういうものではなく、経験した人にしか分からない押さえどころというもので、どこにも書いてないけど、知ってる人は知っているという世界。そういうことについては、素人が一からやったら1ヶ月とか数年はかかるようなことはザラだけど、その道のプロに聞けば一瞬で解決することもある。そういうことは、むしろ聞けばいいと思う。そういうことを尋ねられれば、聞かれた方も内心ちょっと誇らしげなところもあると思うし。

でも、どこにでも書いてあるようなことを聞かれたら、勘弁してよって。人間だからそう思うし、それは効率悪い。

・・・というか、実際、常識的なことからかなり専門的なことまで、今では、正直ほとんどネットの検索エンジンには敵わない。そういう意味では、「専門家」の存在意義は、かなり薄れてる。調べれば、すぐに何でも書いてあるからね。

「知識」という観点から、人間が勝るところとすれば、ディープな経験を積まないと分からないこと、あふれる情報の中から誤謬や不要なものを棄却し、必要なものを取りだして体系化する能力・・・と言ったところだけだと思う。

というわけで、わざわざ人を捕まえてディスターブして質問するからには、そういう部分を問わないと意味ないんじゃないかなと思う。

最近、どうにも非常に基本的なことを聞いてくる後輩が多くて悩ましい。

もちろん、一見基本的なことでも、突き詰めると実は難しいこともたくさんあるし、それを聞くならば、それも価値は高いと思う。ただ、そうならば、「常識的には、こう言われてるけど、実はこう考えると難しくて、分からなくなってきました」とか、そういう聞き方になるはずで、それは聞かれた方も楽しい。そこから、面白い発見につながる可能性もあるし。

ところが、そうではなく、全くの不勉強丸出しでの質問では、ちょっと困ってしまう。

あと、あまりに仕事が遅くてシビレを切らして、「この前言ってた計算結果、今日中にお願いね?」って催促すると、「じゃあ、やり方教えてくださいよ」っていうやつ。「じゃあ」って何?なぜ、未だにやり方を知らない?それは絶対何度か教わる機会があったはずだよね?問いただしてみると、そのときはまじめに聞いてなかったですと?忘れたとしても、なぜ、頼まれたときに、聞かない?そして、未だに調べもしてない?ちょっと、調べて常識で考えればすぐ分かることだと思うよ?・・・何重ものクエスチョンマーク。

笑顔で答える努力はするけど、引きつるよ、正直・・・。

最近、あまりに簡単なことには答えない方が良いのかなとも思い始めてきた。それは、むかつくから意地悪するというわけではなく、あまり何でも教えてしまうと、「とりあえず、ちょっと調べてみる能力」とか、「とりあえず、自力で少し考えてみる能力」というのを開発するチャンスが無くなってるんじゃないかと、そして、一度教わったら身につけてやるというどん欲さもなくなるんじゃないかと、ふと思ったから。

考えてみると、今の教育は、何でもサービスが行き届きすぎていて、困ったときに自力でガタガタやって何とかする・・・っていう経験を積むことが逆に難しくなっているのかもしれない。でも、仕事で何かをやるかぎりは、困難にあたることは当たり前で、しかも誰も頼れない・・・というシチュエーションはとても多いと思うので、絶対に必要な心構え&技術だと思うんだよね。

・・・というわけで、「○○は調べてみた?」と、逆に聞き返すのを始めてみました。もし(・・・というか、たいていそうなんだけど)、調べてなかったら、「次からは、そこくらいは自力で調べようか」・・・とソフトに説教。最近は、すぐハラスメントになるらしいので、そこは細心の注意。

こんなんで、良いのかしらん?

以上、愚痴でございました。くだらない話で、すみませんm(_ _)m


タグ:教育
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