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未必の殺意 [夜話]

少し前のニュースだけど、奈良県で2003年に車上狙いの犯人に警官が発砲し、犯人が死亡した事件について、殺人罪で審理するということになったらしい。

かなり古い事件で、おそらく当初はあまり注目されていなかったのか、詳細がいまいち分からない。概略としては、車で逃走していた犯人を交差点で取り囲んだところ、車を前後に急発進させ、周囲に衝突を繰り返して危険だったため、やむを得ず発砲した。そうしたら、当たり所が悪く死亡したということのようだ。

車上狙いでは捕まっても死刑にはならないので、何も殺すこと無いだろう・・・というご遺族の感情も分からなくはないが、しかし、本件は結論としては無罪になるだろう。そもそも、最初に不起訴処分となった案件であるし、民事訴訟でも正当防衛として無罪になっている。つまり、発砲自体が業務上正当と見なされる状況下で行われたということは、すでに確定していると思われる。

無抵抗の犯人に発砲したり、無警告で発砲したりしたのであれば問題だが、そういう事実があれば、すでに裁判で取り上げられているはずだ。どうやら、今回もそういう争点は無いようなので、結論はやはり同じだろう。かなり危険な逃走方法を試みている以上、とっさの発砲が違法だとまでは言えないでしょう。

しかし、民事訴訟の時に、未必の殺意に関して認定したため、話が少しややこしくなったようだ。こういう案件で、本当に未必の殺意が認められるのか否か?・・・という法学的な争点がでてきた。

というわけで、今回の審理では、無罪の結論は決まっているが、どういう論理で無罪を言い渡すかが焦点になるということだと思う。

未必の殺意というのは難解な概念だけど、ざっくばらんに言うと、「これしたら死んじゃうかも知れないけど、それでもかまわない」という中途半端な殺意のことだ。そういう難しいことを、犯行の瞬間に、犯人が本当に考えたうえで実行しているのか、あるいは実は頭真っ白でほとんど何も考えていないんじゃないのか、興味深いところだけど、とりあえずそういうものがあるというふうに考えているわけだ。瞬間的には、「死ね!」と思ってたら完全な殺意だけど、「死んだってかまうもんか!」くらいだと未必ということかな~。素人にはやはり分かりにくい概念だ。未必は、絶対そうなるという確証がなくてやっているわけで、その程度問題が難しいと思う。確率がかなり低いことまで含めてしまうと、車を運転するだけで未必の殺意になってしまうなんてことになりかねない。だから、相当に蓋然性の高いもの(と認識していた場合)にしか認めない。

閑話休題。

・・・で、銃を抜いて発砲する以上は、未必の殺意があるというのは、ある意味では当たり前だと思う。「銃で撃っても絶対に死なないと思ってました」・・・なんてことはないだろう。激しく抵抗している相手に対して、急所でない部位を狙っても、その通りになるとは限らない。実際、至近距離から撃って、死亡させてるし。体に向けて発砲しておきながら殺意がみじんも無かったという論理を組み立てるのは、結構難しいと思う。

そりゃ、実際のところは頭真っ白で、殺意も何も分からないような状態だったかも知れないけど、そういう結論にもいろいろと問題があるような気がするので、たぶんそういう落としどころではないように思う。

未必の殺意があったとしても、業務上やむを得なかったので無罪・・・というあたりが、やっぱり普通の結論かな。「そもそも警官が拳銃の携帯及び発砲について、業務上の必要に応じて認められているということは、そのときには少なくとも未必の殺意まで認められているということだ」・・・というようなところまで踏み込むかどうか。そこまで踏み込まなくても、正当防衛だから無罪ということで全く問題ないような気もするので、わざわざ危険な見解を示す必要性はないけどね。

でも、「警官の職務上やむを得ない発砲は警官及び市民を守るための正当防衛だからOK」っていうだけの結論なら、わざわざもう一度審理する必要性が薄いようにも思う。訴える方も裁判所も徒労に近い。ということで、何らかの新しい見解が出るような予感もある。いずれにしても妙な話になってきたな~という感じ。

どうなるんでしょうかね。


タグ:時事
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