ナショナリズムに関する一・二の考察(3) [夜話]
なぜ、今ナショナリズムが流行るのか。
それには、複数の要因が考えられるが、メジャーと思われる二つの理由を挙げたい。
一つは、先進国の先行き不透明感や閉塞感があげられると思う。結局、何を目指せば良いのか分からない状況が続いている。そういうときに、ナショナリズムは一定の答えを与えてくれる。「国のため」と言う、わかりやすく、かつがんばり甲斐がありそうで、きっとみんなから誉めてもらえそうなテーマを提供してくれる。そして、その中に身をゆだねれば、熱狂的な一体感まで得られる。自分で人生の目標を見つけられないとき、あるいは見失ってしまったとき、これはなんとも単純明快で魅力的ではないか。
二つ目は、もう少し本質的な問題である。それは、国家という派閥の後ろ盾を失ったとき、人間は本当に世界を相手に一人の個人として、立ち回り続けられるのかという問いである。世の荒波に、独りでボートをこぎ出して大丈夫なのかという不安と、そしてその航海の現実的な困難さが、やはり重くのしかかってくるのではないか。
実は、国民国家の黎明期にも似たようなことがあったと思われる。国民が初めて国政を握ったとき、革命の喜びもつかの間、諸外国からの干渉に耐えなくてはならなくなった。そのなかでナショナリズムが勃興したという経緯がある。このときこそは、市民が国民になった瞬間であり、要するに外界の荒波を強く意識させられた瞬間だったと思われる。
時代は下って、現代もまた、ますます進むグローバル化により、一層、一人一人の人間が"世界"にさらされることが増えている。そして、そのことが結局、精神的にも物質的にも自分を保護してくれると期待する国家という派閥の重要性を再認識させるという結果になっているのではないか。
その結果、グローバル化が進むほどに、裏ではナショナリズムが盛んになると言う一見逆説的な現象が発生することになっているのではないかというのが、私の見方である。
それには、複数の要因が考えられるが、メジャーと思われる二つの理由を挙げたい。
一つは、先進国の先行き不透明感や閉塞感があげられると思う。結局、何を目指せば良いのか分からない状況が続いている。そういうときに、ナショナリズムは一定の答えを与えてくれる。「国のため」と言う、わかりやすく、かつがんばり甲斐がありそうで、きっとみんなから誉めてもらえそうなテーマを提供してくれる。そして、その中に身をゆだねれば、熱狂的な一体感まで得られる。自分で人生の目標を見つけられないとき、あるいは見失ってしまったとき、これはなんとも単純明快で魅力的ではないか。
二つ目は、もう少し本質的な問題である。それは、国家という派閥の後ろ盾を失ったとき、人間は本当に世界を相手に一人の個人として、立ち回り続けられるのかという問いである。世の荒波に、独りでボートをこぎ出して大丈夫なのかという不安と、そしてその航海の現実的な困難さが、やはり重くのしかかってくるのではないか。
実は、国民国家の黎明期にも似たようなことがあったと思われる。国民が初めて国政を握ったとき、革命の喜びもつかの間、諸外国からの干渉に耐えなくてはならなくなった。そのなかでナショナリズムが勃興したという経緯がある。このときこそは、市民が国民になった瞬間であり、要するに外界の荒波を強く意識させられた瞬間だったと思われる。
時代は下って、現代もまた、ますます進むグローバル化により、一層、一人一人の人間が"世界"にさらされることが増えている。そして、そのことが結局、精神的にも物質的にも自分を保護してくれると期待する国家という派閥の重要性を再認識させるという結果になっているのではないか。
その結果、グローバル化が進むほどに、裏ではナショナリズムが盛んになると言う一見逆説的な現象が発生することになっているのではないかというのが、私の見方である。
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