危険性と規制と対策と(2) [夜話]
前回は、やや行く先が見えにくい話になってしまいましたが、要は、世の中はいろいろな人がいてそう単純ではないであろうということが、私の考えです。
言ってしまえば、放射線の健康影響について楽観的→対策不要と考えている・・・とか、悲観的→直ちに対策が必要と考えている・・・という風には、簡単には結びつけられないというのが、私の見方です。人間というのは、もう少し複雑で、いろいろな考えを経て各人の結論にいたるのではないかと想像するのです。
例を挙げてみます。もちろんですが、事実と一致するか否か、私が正しいと思うか否かとは関係なく、私自身が想像する考え方のバリエーションの例です。
(意見1)現状の放射線の健康影響は、非常に危うい状況にある。行政や東京電力は、ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと何らかの対策を実施すべきである。
(意見2)現状の放射線の健康影響は、非常に危うい状況にあり、直ちに対策が必要である。しかし、行政は昨今の財政状況と政治の風潮では期待できないし、東京電力も含めて、目下のところはフクシマにかかりきりである。そもそも、彼らに任せるとしても、どうせ、将来的には税金もしくは電気代として、対策費用を払うことになるわけだから、さくっとポケットマネーを出して、今のうちに対策をしてしまったほうが良い。
(意見3)現状の放射線の健康影響は、危険性があるかも知れない状況にあり、直ちに対策が必要である。しかし、費用の工面も大変だし、有効な施工方法も不明であって、実現は容易ではなく、今、みだりに動くべきではない。
(意見4)現状の放射線の健康影響は、危険性があるかも知れない状況にあり、直ちに対策が必要である。現状では実施は難しい。とはいえ、近いうちに国か東京電力が動くであろう。今、みだりに動くべきではない。
(意見5)現状の放射線の健康影響は、危険性があるかも知れない状況にあり、直ちに対策が必要である。とはいえ、他にも我々が力を注がなくてはいけない問題はあり、必ずしも優先順位が一位とも限らない。
(意見6)現状の放射線の健康影響は、危険性があるかも知れないけど、よく分からない。というわけで、対策してくれるなら、それに越したことはない。でも積極的に打って出るほどでもない。
(意見7)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。ただし、そもそも原発からの影響は1mSv/年に押さえるという規制があった以上、政治的合意としては、その基準を満たすように行政・東京電力は最大限の努力をしなくてはいけない。
(意見8)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。しかし、ICRPの放射線防護基準の考え方に乗っ取って線形内挿仮説を採るならば、政治的合意としては、被曝線量を抑えるよう最大限の努力を払うことが必要とされる水準にあるわけだから、何らかの対策を実施することが期待される。
(意見9)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。しかし、ICRPの放射線防護基準の考え方As Low As Reasonably Achievableに乗っ取れば、不要な被曝は避けるというのが社会的な通念であり、健康影響の有無や規制値に関係なく、被曝量は可能な限り低くしなくてはいけない。したがって、何らかの対策を実施することが期待される。
(意見10)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、その点では直ちに対策が必要とは言えない。しかし、風評被害は、物質的・精神的被害を問わず、現実に深刻である。それに対処するためには、とりあえず何らかの線量低減策を採る意味はある。
(意見11)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。しかし、心配で心を痛めている人がいるのは事実だし、そのことを思いやるならば、何か対策してもいいかもしれない。
(意見12)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。しかし、放射線対策という名目で、土木工事等が増えれば、景気への刺激になるかも知れない。というわけで、とりあえず何らかの対策を実施するよう要求しておこう。
(意見13)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。そもそも現状の規制値は科学的知見に照らせば厳しすぎる。ICRPの内挿仮説も科学的根拠はない。国民によく説明して規制緩和するのが妥当である。
(意見14)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。何らかの対策をするのは、お金の無駄である。
(意見15)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。心配すること自体がおかしいし、議論の対象となること自体が信じられない。
以上、ざっとあげてみましたが、これは個人が数十分程度で考えた範囲であって、現実はさらに複雑微妙でさまざまだと思います。
それはともかくとして、現状認識と、最終的な対策への考え方は、必ずしも関連はなく、非常にバリエーションがあり得るということが、私の言いたかったことです。
現状をどう認識するか、そしてどのように対応するかも個人の考え方・自己責任と言ってしまえばたやすいですが、実際には、私たちは一定の空間を共有して過ごしているわけで、ある程度は意見をまとめて協調して動かなくてはいけないところが必ずあります。
そういうときには、やはり、まずはお互いの考えを謙虚に、慎重に理解し合うところから始める必要があるでしょう。その上で、一致できる部分を探っていきましょう。
世の中は、単純に二元論では割り切れないですし、最初にレッテルを貼ってしまうと、その先が見えなくなってしまうと言うことがよく起こります。そして、それが信頼関係の破綻につながるというのが、よくあるストーリーです。
平時ならば、それもまた、とある国のとある地方のとある一コマということで済まされるかも知れませんが、今は、それでは困ってしまうと思います。
現実は複雑で、しかし、それが故に、少なくとも部分的には理解し合い、歩み寄れる可能性はあると私は信じています。現状が危険か否かで意見が相違したとしても、対策の必要性の有無では意見が一致するなんて言うこともあり得るわけです。
特に、これからリーダーシップを取って、何らかのDicision makingをやっていこうと考えられている方には、是非、そういう可能性を含めて、人々がバラバラにならないような道を探ってほしいというのが、私の希望です。
かつて、地元で、賛成派と反対派に別れた人々は、結局、それ以前からの居住地域の違いや所得水準等による軽い差別意識も相まって、何だかよく分からないしこりを残しました。
それは、しかし、本来であれば避けられたことではないかと思っています。
私は、日本が、柏が、同じ轍を踏まぬよう、しかるべく丸く収めつつ、かつ次の有意義なステップを踏み出せるようにと切に願っています。
言ってしまえば、放射線の健康影響について楽観的→対策不要と考えている・・・とか、悲観的→直ちに対策が必要と考えている・・・という風には、簡単には結びつけられないというのが、私の見方です。人間というのは、もう少し複雑で、いろいろな考えを経て各人の結論にいたるのではないかと想像するのです。
例を挙げてみます。もちろんですが、事実と一致するか否か、私が正しいと思うか否かとは関係なく、私自身が想像する考え方のバリエーションの例です。
(意見1)現状の放射線の健康影響は、非常に危うい状況にある。行政や東京電力は、ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと何らかの対策を実施すべきである。
(意見2)現状の放射線の健康影響は、非常に危うい状況にあり、直ちに対策が必要である。しかし、行政は昨今の財政状況と政治の風潮では期待できないし、東京電力も含めて、目下のところはフクシマにかかりきりである。そもそも、彼らに任せるとしても、どうせ、将来的には税金もしくは電気代として、対策費用を払うことになるわけだから、さくっとポケットマネーを出して、今のうちに対策をしてしまったほうが良い。
(意見3)現状の放射線の健康影響は、危険性があるかも知れない状況にあり、直ちに対策が必要である。しかし、費用の工面も大変だし、有効な施工方法も不明であって、実現は容易ではなく、今、みだりに動くべきではない。
(意見4)現状の放射線の健康影響は、危険性があるかも知れない状況にあり、直ちに対策が必要である。現状では実施は難しい。とはいえ、近いうちに国か東京電力が動くであろう。今、みだりに動くべきではない。
(意見5)現状の放射線の健康影響は、危険性があるかも知れない状況にあり、直ちに対策が必要である。とはいえ、他にも我々が力を注がなくてはいけない問題はあり、必ずしも優先順位が一位とも限らない。
(意見6)現状の放射線の健康影響は、危険性があるかも知れないけど、よく分からない。というわけで、対策してくれるなら、それに越したことはない。でも積極的に打って出るほどでもない。
(意見7)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。ただし、そもそも原発からの影響は1mSv/年に押さえるという規制があった以上、政治的合意としては、その基準を満たすように行政・東京電力は最大限の努力をしなくてはいけない。
(意見8)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。しかし、ICRPの放射線防護基準の考え方に乗っ取って線形内挿仮説を採るならば、政治的合意としては、被曝線量を抑えるよう最大限の努力を払うことが必要とされる水準にあるわけだから、何らかの対策を実施することが期待される。
(意見9)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。しかし、ICRPの放射線防護基準の考え方As Low As Reasonably Achievableに乗っ取れば、不要な被曝は避けるというのが社会的な通念であり、健康影響の有無や規制値に関係なく、被曝量は可能な限り低くしなくてはいけない。したがって、何らかの対策を実施することが期待される。
(意見10)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、その点では直ちに対策が必要とは言えない。しかし、風評被害は、物質的・精神的被害を問わず、現実に深刻である。それに対処するためには、とりあえず何らかの線量低減策を採る意味はある。
(意見11)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。しかし、心配で心を痛めている人がいるのは事実だし、そのことを思いやるならば、何か対策してもいいかもしれない。
(意見12)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。しかし、放射線対策という名目で、土木工事等が増えれば、景気への刺激になるかも知れない。というわけで、とりあえず何らかの対策を実施するよう要求しておこう。
(意見13)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。そもそも現状の規制値は科学的知見に照らせば厳しすぎる。ICRPの内挿仮説も科学的根拠はない。国民によく説明して規制緩和するのが妥当である。
(意見14)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。何らかの対策をするのは、お金の無駄である。
(意見15)現状の放射線の健康影響は、あるとは考えにくく、直ちに対策が必要とは言えない。心配すること自体がおかしいし、議論の対象となること自体が信じられない。
以上、ざっとあげてみましたが、これは個人が数十分程度で考えた範囲であって、現実はさらに複雑微妙でさまざまだと思います。
それはともかくとして、現状認識と、最終的な対策への考え方は、必ずしも関連はなく、非常にバリエーションがあり得るということが、私の言いたかったことです。
現状をどう認識するか、そしてどのように対応するかも個人の考え方・自己責任と言ってしまえばたやすいですが、実際には、私たちは一定の空間を共有して過ごしているわけで、ある程度は意見をまとめて協調して動かなくてはいけないところが必ずあります。
そういうときには、やはり、まずはお互いの考えを謙虚に、慎重に理解し合うところから始める必要があるでしょう。その上で、一致できる部分を探っていきましょう。
世の中は、単純に二元論では割り切れないですし、最初にレッテルを貼ってしまうと、その先が見えなくなってしまうと言うことがよく起こります。そして、それが信頼関係の破綻につながるというのが、よくあるストーリーです。
平時ならば、それもまた、とある国のとある地方のとある一コマということで済まされるかも知れませんが、今は、それでは困ってしまうと思います。
現実は複雑で、しかし、それが故に、少なくとも部分的には理解し合い、歩み寄れる可能性はあると私は信じています。現状が危険か否かで意見が相違したとしても、対策の必要性の有無では意見が一致するなんて言うこともあり得るわけです。
特に、これからリーダーシップを取って、何らかのDicision makingをやっていこうと考えられている方には、是非、そういう可能性を含めて、人々がバラバラにならないような道を探ってほしいというのが、私の希望です。
かつて、地元で、賛成派と反対派に別れた人々は、結局、それ以前からの居住地域の違いや所得水準等による軽い差別意識も相まって、何だかよく分からないしこりを残しました。
それは、しかし、本来であれば避けられたことではないかと思っています。
私は、日本が、柏が、同じ轍を踏まぬよう、しかるべく丸く収めつつ、かつ次の有意義なステップを踏み出せるようにと切に願っています。
私には政府やマスコミがその対立を煽っているように思えてならないのです。
ポイントは「風評被害」という一言。この言葉が楽観派と悲観派の溝を深めているのではないでしょうか。
楽観派は怖がる人を「風評被害を助長する」と攻め立てる。
怖がる人は「風評被害を助長する」と攻め立てる楽観派を恨む。
この構図をいとも簡単にテレビが「食べて応援しよう」キャンペーンで作り上げてしまいました。
私は偽楽観派も多いと感じています。政治的思惑を達成するために、楽観論を振りまく人が多すぎる気がします。
逆もまた然りなのですが、テレビ等の扱いを見ると楽観論を定着させようとしている意図を感じます。そのあたりが悲観派にとっては不快なのでしょう。
無意味に悲観する必要は無いですが、国際的に決められた規制とその前提となるリスクの意味くらいは正しく報道して欲しいです。
日本は基本的にICRP勧告に従っているのであれば、そのリスクも誠実に語るべきでしょう。100ミリまでは安全などという学者ばかりが登場しているのは異常です。
by higecat (2011-07-08 23:06)
柏市の発表した対応策、方向性はおおむね評価してるんですが、中村尚司のコメントの一部はいただけないですねえ。「もっとひどい状況の場所もあるから黙ってろ」ってことですよね、あの言い方は。黙る黙らないは、相対論で決めることじゃないんだけど、そういう卑しい世間論を語ることで、二極対立をあおってしまうことに気づかないんだろうか。残念。
by たろう (2011-07-09 12:23)
追伸。中村尚司のコメント(「もっと数値の高い福島県民はこの騒ぎをどう思うだろうか」)は、楽観派と悲観派の二極対立感情をあおりかねない火種であると同時に、地域対立も煽りかねない悪質発言ですね。おかげで、彼の文章のほかの科学的知見も、冷静に読むことは難しくなるだろうし、いいことなんてひとつもなかったと思いました
ほかのお二方は、私情を語らず冷静なコメントを述べておられただけに残念ですね。彼の個人的な世間観を述べる必要なんてまったくなかった。
by たろう (2011-07-09 13:01)
こんにちは。いつもブログ読ませて頂いております。
上のコメントに便乗するようで恐縮なのですが、その中村尚司氏の見解にあった「冷戦時代は今より1万倍汚染されていた」のくだりが納得できないでいます。これは信頼できる数値なのでしょうか……?
水琴さんはこの発言の根拠になったであろうデータをご存知ですか?
by くるる (2011-07-09 16:05)
higecatさん>
コメントありがとうございます。私もそれは感じています。テレビや雑誌では、刺激が求められるせいか、楽観も悲観も、虚偽かどうかぎりぎりのレベルで極論が伝えられがちな傾向があるように思います。
それに振り回されて、地域の絆やコミュニケーションが壊れるようなことがないように・・・と、願っています。
一般市民の中では、不安にも安心にも人それぞれの理由があり、そして、それは、少なくともその人にとっては、絶対に重要かつナイーブな部分であって、お互いにまずはその気持ちには耳を傾けなくてはいけません。
不安・安心は、危険・安全と違い、合理性だけでは決まらず、感情に触れる部分を持っています。それを、一方的に否定しては、コミュニケーションは成り立たないでしょう。
基本に忠実に、相手の気持ちや考え方を理解し合った上で、事実誤認や誤解があると思えば、その部分について、しっかりと話し合う・・・ということが、大切だと思っています。
by 水琴 (2011-07-10 00:41)
たろうさん>
コメントありがとうございます。同感ですね。
こういう失言をする大先生にはさっさと引退していただいて、その分、若手研究者の待遇改善を・・・というのは私情ですが(笑)、それはともかくとして、かつて原子力関係の大先生方と接したことのある経験を踏まえると、この失言には少し背景があると想像します。
(大先生の心の声(水琴の想像で、少し誇張しています。あしからず。))
東葛の線量なんて、どう考えたって安全に決まっとる。
↓
それを危ないとか言うのは、どうせ学生運動のようなノリで自己顕示のためか金がほしいかのために無責任に騒ぎたててるだけの特殊な市民団体くらいのもんじゃろう。普通の市民とは思えない(←水琴注:ここ、ポイント)。
↓
今回の事故は現実に深刻な国難だ。それをガキの遊びにするんじゃない。安全かどうかのボーダーにかなり近い福島の人たちが、どういう思いで日々過ごしてるのか分かってるのか。大人になれ!
・・・というわけで、そういう発言が出たんではないかなと思います。文中にも書きましたが、過程はどうあれ、ポイントは、想定されているのは、「普通の市民」じゃないということです。
というわけで、その失言は、一般市民が不安を抱えているということに関する認識の誤りから端を発し、結局、私たち一般市民に向けられてはいないということです。
これが、極端な一部反原発団体と原子力系の先生方が何十年も不毛なバトルをしてきた末にできあがった認識のゆがみ、コミュニケーションのゆがみです。
言い分はあるでしょうが、火に油を注ぐだけなので、私たちとしては迷惑なだけですけどね。
by 水琴 (2011-07-10 01:53)
くるる さん>
大気中のセシウム-137の濃度という観点から言うと、1960年代は、現在の千倍から一万倍のオーダーというデータがあります。大気中核実験が行われると、一万倍のオーダーに乗り、少し経つと千倍のオーダーに下がり、また実験で上がるというのを繰り返していたようです。ですから、間違いとは言えません。
ただ蛇足ですが、中立という観点から見たときに、"現在"というところと"大気中の濃度"というところに若干のトリックがあるので、指摘しておきます。
私もこれまでの記事で書いていますが、3/21~22の雨で、放射性物質が一気に降下したために、以降の大気中の濃度は非常に低い水準で推移してきています。一方、今、主要なことは、降下した放射性物質による表層土壌の汚染と、そこからの放射線です。大気中の放射性物質の濃度が低いことは事実であっても、それは論点がずれていると言われても仕方ありません。
また、三月の雨が降る前の大気中の濃度は、一時的に1960年代の10~100倍オーダーくらい、チェルノブイリ事故時の10倍オーダーくらいだったはずです。つまり、"現在"が、"三月現在"ならば、違った言い方になるということです。
だからどうと言うわけでもないですが、ご参考までに。
by 水琴 (2011-07-10 02:47)
>水琴さん
大先生の心の声、ありがとうございます(^-^)おっしゃるとおり、今回の特徴は、それまで特に原発反対でなかった方々が、大変心を痛め、声を上げてらっしゃることですよね。そして、そうした思いの媒体として、ネットが大きな役割を果たしてるわけですが、香山さんなんかは、「ネット=ひきこもり」みたいな古い見方をしちゃってるのでしょうか。元ネタを拝見してないからわかりませんが、そうだとしたら残念ですね。。大先生も、積年の不毛な論戦を思い出して、つい毒を吐いちゃったんでしょうか。吐く相手を間違えましたね。あるいは市長さんも、短期間で大先生と同じ境地に達してしまったのか。。発表された対応策が、相応の進捗を見せ、受け皿になりうるものだっただけに、感情論の応酬だけは避けたかったですねえ。。市長さんも大先生も、心痛で苦しんでる一般市民も、みんなひとつにまとまるような大皿を用意したいものです。不可能じゃないはずなんですが。。
by たろう (2011-07-10 19:44)
意見の多様性の件、大変秀逸ですね。
私もこうだと思います。ちなみに私は(意見2)かなあ。
古今東西、為政者が民を支配するための王道は、民どうしを分裂させて上に歯向かってこないようにすることだと習ったことがありますが、悲しいかな人間の性として、どうしても自然と分裂してしまうのかもしれませんね。
by abi (2011-07-28 08:54)
abiさん>
コメントありがとうございます。
意見の多様性を認め合った上で、建設的に話し合って、一番多くの人が納得できる形で次の道を選べるといいですね。
by 水琴 (2011-07-29 00:30)
こんにちは。初めて書き込みします。
東京在住の1歳の娘を持つ父です。
1960年代は、現在の千倍から一万倍 との情報は
どこにあるのでしょうか?
良く見るので私も最終的には気象庁と気象研究所にまで
問い合わせたのですが そのような事実はないとの事です。
気象研究所のデータやUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)の報告書も見ているのですが探し出せません。
例えばUNSCEAR-2008 年報告書 だと
核実験由来の被曝は1963年の0.11mSV/年が最大であったようです。
UNSCEAR-2008 年報告書
http://www.jaif.or.jp/ja/news/2010/unscear2008report_radiation.pdf
また 気象庁気象研究所のデータと東京での降下量を比較もしました。
同様の内容が 専門家が答える暮らしの放射線Q&Aにもありましたが
過去が1000-10000倍の濃度というのが 見つけられませんでした。
http://radi-info.com/q-327/
かなり数字や統計のトリックを使って 限りなく嘘に近い事を言っている
のだろうな とは思っているのですが どの観測値を使っているか
ご存知でしたらお教え下さいい。
by 1歳児の父 (2011-07-31 23:23)
1歳児の父さん>
結論から言うと、データは同じです。上記、くるるさんへのお返事に書いたように、"三月現在"と、"現在"の定義の違いに由来します。あまり、ご大層なトリックではありません。以下は、簡単のためにセシウム-137に注目して述べます。
大気中の放射性物質は三月の雨でほぼすべて降下してしまい、その後の新規放出量が限定的なため、"現在の月間降下量"は、事故前と同じオーダーまで落ち着いてきています。従って、"現在"は、0.01~0.1Bq/m2/月のオーダーの降下量ということになります。一方で、例えばご指摘のリンク先の情報のように1960年代には100Bq/m2/月のオーダーのときもありました。すると、1960年代は現在の千倍から一万倍のオーダーということになってしまうのです。
しかし、"三月現在の月間降下量"は、柏で40000~50000Bq/m2/月と、1960年代の100倍くらいをたたき出しています。ご指摘のリンク先の情報だと、東京は10倍くらいだったようですね。これもくるるさんへのお返事を書いたときに"10~100倍程度"と指摘した通りです。
「△△は○○の××倍」というときには、同一の客観的データに基づいていても、△△と○○の定義次第でかなり違う印象を与える結果になりますので、注意が必要なのです。
by 水琴 (2011-08-02 23:52)
水琴様
お忙しい中お返事あるいがとうございます。
一度お礼の書き込みをさせて頂いたのですが反映されていないようですのでもう一度書き込みさせて頂きます。
私が もしかしたら他にデータがあるのでは と探していた理由は
も常識がある学者であれば データの都合の良い所だけ抜き出して
物事を判断したりする事はしないからです。
仮にも教授であり 責任ある立場の学者がそのような詐欺まがいの事は
いくらなんでもそこまでしないのでは というお人よしな考えがあり
他にデータがあるのではと探していました。
良識とまでいかなくとも 一片でも学者としての常識が残っていれば
こんな事出来ないはずなのですが。このような方が政府の原発事故関係の要職にある事に恐怖を覚えると共に 多くの人は偉い教授が言って
いるのだから 間違えないだろうと考えるんだろうな と感じました。
とにかく 政府があの手この手で誤魔化そうとするので こちらも
きちんと知識を身につけたいと思います。
本当は行政や政府と協力して 次世代を守りたいのですが。
by 1歳児の父 (2011-08-08 18:29)